ダーク・マン

 およそどの歴史の教科書にも登場するギリシャの偉大な哲人ヘラクレイトスは「暗き人(ホ・スコテノイ ho skoteinos)」と呼ばれたが、これは彼の著作があまりに難解でさっぱり理解できなかったことによる。つまり「わけのわからんやつ」程度の意味だったのであるが、確かに水腫病にかかった時に医者に対して「洪水の後で日照りをつくれるか」などと訊いて相手を面食らわせたり、そうして医者が呆れ果てるのを見込み無しとみて牛糞の山に寝そべって(一説では家の床に牛糞を敷き詰め)その熱で身体の水分を蒸発させようとしたり(果たせず結局牛糞まみれで死んだ)、とはなはだ理解に苦しむ行為をやってのけた辺りはまさに暗い人の面目躍如といったところであろう。この辺の事情は何故か大抵の学校では教えられないが、このことも彼の暗さをさらに助長している気がしないでもない。
 ともかくその著作を読んだソクラテス先生がヘラクレイトスを評する限りでは、「私の理解できた部分は素晴らしい。理解できない部分もきっと素晴らしいのだろう。しかしあまりに深遠なので潜水夫でもなければとても理解できない。」とか。ところが一方でニーチェ御大は「ヘラクレイトスほど明快な人はいない」というのだからますます事態は暗くなる一方である。
 この問題はまさにあの万物流転により説明がつくのかもしれない。すなわち、先の発言をしたソクラテスは著作を読んだソクラテスではなく、また同様にヘラクレイトスの著作に触れたニーチェはヘラクレイトスについて発言したニーチェではない。特に後者はめぐりめぐって最後は狂死した人であるだけにますます万物流転を強力に支持していると言えなくもない。問題は先の文を書いた私といまこの文を書いている私は万物流転によりもはや別人なので、この説を支持して良いのかわからないところである。

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