WAVE OF ERROR

 1944年冬、既にドイツ軍の敗色は決定的となっており、連合軍の一部の楽観的な人々はクリスマスまでには戦争を終らせられると考えていた程であった。渦中の人ヒトラー総統は危機的状況を打開するため乾坤一擲の大反攻をかけることを決意した。三度目の引退からまたも復帰したドイツ国防軍最長老のルントシュテット元帥は難色を示したが総統閣下の強い要望には逆らえず、かくして運命の地アルデンヌにて再び決死の大作戦が実施されることとなった。作戦開始日12月16日、開始0535時、作戦名「ラインの守り」。アメリカ側では「バルジ(突出部)の戦い」として記憶されることになる戦いである。
 Dデイ前夜、ルントシュテット元帥は将兵に次のような訓示を送っている。「諸君は我が祖国と我が総統の為に、超人的目標を達成すべく、全力を尽くす義務があるのだ。」その超人的目標の達成の為、とある男が呼び出されていた。幽閉されたムッソリーニを救出し、ホルティ提督の息子を誘拐してハンガリーの戦線離脱を阻止した「ヨーロッパで最も危険な男」オットー・スコルツェニーSS少佐である。総統自ら与えた使命はアメリカ軍に偽装した特殊部隊を指揮、後方撹乱を実施するというものであった。その実態はかなりお寒いものだったが、最初に捕えられた4人から生じた噂がたちまちにして広がり大混乱を引き起こした。シカゴ・カブスの所属リーグを間違えたためにブルース・クラーク少将が逮捕されるは、イリノイ州の州都をシカゴと勘違いしている憲兵に第12軍集団司令官のブラッドレイ中将が足留めをくらうは、果ては暗殺の噂が出たために連合軍最高司令官のアイゼンハワーまでが軟禁に近い状態に置かれる羽目となるは、という頭の痛くなる混迷ぶりであった。
 そうした混乱のおかげかドイツ軍の進撃は当初順調に進んだが、燃料不足と連合軍の立ち直り等によって進撃は徐々に鈍化、戦いの焦点は要衝バストーニュに当てられた。この地を守るアメリカ軍は頑強に抵抗、3日以上独軍の攻撃に耐え続けていたが21日夜にはついに完全包囲されてしまった。
 22日昼、防衛の指揮を取っていたアメリカ第101空挺師団師団長代理マコーリフ准将のもとに軍使が降伏勧告を持ってきた。ここでの准将の返答は不滅の名言として戦史に記録されている。
「Nuts!」(くそくらえ、程度の意の俗語)
 その返答はまさに傑作であった。何故なら米語に疎い(しかも前出の特殊作戦のため英語の出来る兵士が抽出されていた)ドイツ軍はその意味をさっぱり理解できず、ドイツ流の几帳面さでもってわざわざ後方に問い合わせたりして貴重な時間を無駄に消費したのであった。一方でドイツ軍の攻勢を看破していたパットン中将麾下のアメリカ第3軍は猛反撃を開始しており、4日後の26日にはクレイトン・エイブラムス中佐(後のベトナム派遣軍総司令官)率いる第37戦車大隊がバストーニュに到着、同市は救出されたのであった。
 結局この戦いはドイツ軍の大敗北に終った。

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